アニメの話がしたいジャないか

アニメの話をガッツリできる友達がいないのでここにこっそりと書き込んでいきます。

「たつき監督を信じろ」の秘密

特に秘密というものはありませんが、最終回直前の謎の盛り上がり「たつき監督を信じろ」という言葉についてネット情報の波にのまれる前に備忘録として残しておきます。

 

 「けものフレンズ」のSNSでの雰囲気の変化

 

2017冬期は「けものフレンズ」という作品はネットやSMSによってかなりの人気を得ました。

何故ここまで人気になったのか?、この物語に含まれる謎は?

というのは他の評論家や考察班に任せるとして、ここでは第10回目くらいからぼんやりと形成されていたネット上のざわめきや、空気感についてを書き残している人が少なかったので書いていきます。

 

元々「けものフレンズ」は1話の時点で全く見向きもされなかったアニメでした。

2017年冬は新作だけで45本もあり、視聴者としては出来るだけ数を減らさなければいけない状況てす。

そんな中でフル3DCGのけもの好きな人向けというかなりマイナーなジャンルは即1話切りの対象です。

 

私自身も初見ではどうしてこれが五分アニメではないのかと驚いた記憶があります。

 

その風潮が変わってきたのが3話、4話です。

 

この頃になると段々と世界観についての背景が見えてきます。

この時点になってやっと、それまで見続けてきた人がこれは面白いぞとネットやSNSで声を上げ始めます。

 

そして興味のある者はみんなフレンズになった9話10話頃、そろそろ最終回に向かって話の風呂敷をたたみ始めなければいけないという頃、作品内ではこれまでに増して不穏な雰囲気を出し始めました。

 

その嫌な雰囲気を察知してネット上では「あれ?もしかしてこの物語は鬱エンドもあり得る?」と思い始めます。

 

そうです。「たつき監督を信じろ」という言葉は結局のところ、監督の類まれなる監督のバランス感覚の持ち主である証拠だと考えます。

 

けものフレンズ」の魅力

 

ここで改めて「けものフレンズ」の魅力の話になりますが、メインストーリーであるカバンとサーバルのロードムービーを通して優しい世界に浸るという、何も考えずに楽しめるという側面と背後に見え隠れするディストピアな雰囲気から考察できる余地があるという側面で成り立っています。

 

魅力①「優しい世界」

 

一つ目の魅力であるメインストーリーですが、かなりシンプルかつ正統派な物語です。主人公であるカバンちゃんの成長ストーリーであり、自分自身を見つけ出す過程で様々な人と関わるロードムービーです。このメインストーリーの中のキャラたちのやり取りで人をほんわかさせます。「優しい世界」です。

 

この世界観を構築させるための要素としてもちろん動物を擬人化させて純粋に(頭悪く)させています。

さらにもう一つ重要な要素としてはキャラクター造形でしょう。「けものフレンズ」はマルチメディアで展開しているプロジェクトです。ただ、このプロジェクトは他の物とは違うところが決定的に異なる部分があり、全てのメディアでキャラクター造形が変わっているという部分が特徴的です。

具体的に見てみましょう。

アプリ版は2.5頭身の完全ディフォルメキャラ、漫画版はそれと比べるとかなり大人びた6~7頭身です。

一方アニメ版では4頭身ほどのどちらともつかない幼児体系の様なキャラになっています。さらに顔つきは目が大きく、鼻が無い全体的にのっぺりとした印象になっています。

アニメではフル3DCGなので変にリアルにするよりのっぺりとした方が気持ち悪さが無いということもあるでしょうが、やはりこれも戦略の一つではないかと思います。

このキャラ造形の表情がシンプルな感情を表すのに適しているのではないでしょうか。

 

さて、このキャラの顔、どこかで見覚えがあります。

幼児の様な、普段の生活の中で凄さを見つける天才、行動を見てて飽きない、

これってよつばとに似てますよね。

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けものフレンズ」は幼児達のワイワイ遊んでいるのをほほえましく見たり、冒険するのを見てハラハラしてみたり、カバンちゃんの成長に感動してみたりと「はじめてのおつかい」的な話の魅力というものがあります。

疲れた生活に、深夜ぼんやりと見れるアニメは思っている以上に癒されます。

 

魅力②不穏な雰囲気

 

二つ目の魅力として、そこかしこに不穏な雰囲気が散りばめられています。

EDの廃墟になった遊園地や話の途中ふいに出てくる人類は滅びた的なセリフやフレンズの現れ方がさらっと入ってきます。

このさらっとした伏線の入れ具合のタイミングが絶妙です。

一例になりますが、明かされた謎の一つにカバンちゃんは髪の毛から出来たヒトのフレンズということが分かりました。

この伏線として途中途中に何度もセリフこの世界はヒトが滅びた後の世界だということが示唆されてきましたが、私が気になっていたのは一話の高い崖を降りるですでに伏線が張られていたことです。

サーバルちゃんより体力の劣るカバンちゃんが3メートル程の崖から滑り落ち、これは怪我でもしたんじゃないか?と思った時、キラキラとサンドストーンのパワーが出ていて怪我も無く服が擦り切れた様子もありませんでした。

まだまだ世界の秘密が明かされていなかった一話の時点で私としては、コレは世界観としてサンドストーンで登場人物全てが守られていたのか?、それともこのカバンちゃんがサンドストーンのパワーに守られているのか?と疑問に思いましたが12話や12.1話などを見る限りフレンズはサンドスターのパワーを使えることが分かります。

ここからカバンちゃんはヒトのフレンズだった伏線になっていたのだと分かります。「けものフレンズ」は世界観や設定がしっかりしていることに気づきました。

 

単に優しい世界の幼稚園を見ているだけでなく、不穏な雰囲気を散りばめるようにして伏線を入れているこのバランス、これが素晴らしかったのだと思います。

 

結論

 

特に12話のシリアスとコメディのバランス、前半の真剣な戦いやラッキービーストの自己犠牲、後半のラッキーを見つけて思わず投げてしまうサーバルの行動やみんなで打ち上げしている光景。どちらか一方に偏らずシンプルなメインストーリーはしっかり完結させつつも謎を考察できるという素晴らしいバランスが保てています。

けものフレンズ」という作品はもちろんこれまでの「マドマギ」の経験(前に書いた記事参照)も下地になっていますが、この監督のバランス感覚によって私たちは最終回まで悲しい話になるかもしれないし、ハッピーエンドで終わるかもしれないというどうなるのか分からないハラハラ、ワクワクさを持たせ続けることに成功しています。

 

繰り返しになりますが「たつき監督を信じろ」とはたつき監督のすさまじいバランス感覚によって生み出され、最終回を見て安心した視聴者が使わなくなり消えて行った言葉だったのです。

 

たつき監督を信じろ」という言葉を後から知って何のことか分からない方はリアルタイムで見ていた方に聞いてみましょう。

そして過去のたくさんの名作と言われるアニメだけを見るのではなくてリアルタイムのアニメを見る楽しみもあるのではないでしょうか。

今の時代はリアルタイムでアニメを見て、SNSなどから分かる雰囲気までも楽しむのが最もアニメを楽しめる時期に来ているのかもしれません。

「けものフレンズ」で気づいたけど「まどマギ」などを経てアニメは一周したのではないか

最近話題の「けものフレンズ」。

 

すごーい!、たーのしー!

 

と思うのはこれまで作られてきた、たくさんのアニメが下積みとして効果を発揮しているのかもしれない。というお話です。

 

 

4話が終わった時点で何やらネット界隈で騒がしかったので、4話までを”ながら見”してみました。

するとあらビックリ!1話などは苦痛でしかなかったんですが気が付くと何とも言えない妙な魅力に取り込まれていたのです。

4話を見た時点でもう一度1話から見たくなるというのはこれまでなかなか無い経験です。(ちなみにまだ3周しかしていないのでガッツリハマったという訳ではありません。)

 

けものフレンズ」何が面白いの?

けものフレンズ」の魅力は何なのか。

色々と考えていましたがやはりお互いに褒め合う優しい世界だからではないでしょうか。

 

よく使われている言葉として「IQが下がる」というのを目にします。

幼児向け番組の様な裏表のない間延びした棒読みセリフによって徐々に思考回路のめぐりが落ちていきます。

楽しいことには「たーのしー」、興味があることには「たのしそー!」他人(他フレンズ)の得意なことに対しては「すごーい!」と、もうあからさまに褒めます。

お互いを尊重しまくりです。

しまくりんぐです。

 

これまでの日常系でも同じように視聴者を喜ばせる『完全なる優しい世界的なセリフがあったはずですが、この「けものフレンズ」は異様なほど心に刺さってきます。

 

なぜでしょうか?

その理由はやはり主人公を除くキャラクターのことごとくが『バカだからではないでしょうか?

 

これまでにあった日常系ではどんなに完璧な優しい世界観であったとしても、視聴者が聞いて喜ぶような言葉は、「人間」が喋っているということに変わりはありません。

人間には少なからず思惑というものがあります。純粋な子供キャラにだって何かしらの考えを基に言葉を発しているのです。(むしろアニメキャラの場合は腹黒小学生なんてのも多いです。)

 

一方、けものフレンズに出てくるキャラクターは動物がフレンズ化した生き物で、人間とは違う思考回路を持っています。基本的には深く考えないキャラばかりなのでイヤミの無い雰囲気が漂ってきます。というより興味のあることしかしません。

だからこそ言葉を額面通りに受け取れるのではないでしょうか。

 

『完全なる優しい世界』な言葉は普段私たちが欲している言葉です。そんな言葉が飛び交っている世界にいけたら嬉しいなぁという気持ちは、学校や会社で褒められるどころか、逆にけなされ、怒られ、ツライことに耐えている現代人にとって一服の清涼剤になっているのかもしれません。

 

なぜキャラクターはバカばかりなのか?

これは単純に主人公との対比という制作の都合上的な面もあるのではないかと思っています。

 

けものフレンズ」のキャラクターは元々動物です。

フレンズ化して喋ることが出来るようになり、身体が女の子になって、なおかつ動物だった時の特長を引き継いでいます。

これによって登場人物みんなが助け合う事によって物語を紡いでいきます。

 

そして動物は様々な特技を持っています。

サーバルはジャンプ力が凄い。

カワウソは手先が器用で家を作れる。

アルパカは山登りが得意。などなどです。

 

さて、主人公のカバンちゃんは何が得意なのかというと、

人間なので「頭がいい」ということがメインになってきます。

 

頭がいいという特徴を物語として最大限発揮させるにはどうすればいいのかと考えれば答えは出てきます。それ以外の登場キャラの頭を悪くすればいいのです。

 

主人公が人間で、謎のジャパリパーク内を探検していく途中に、人間らしい「頭の良さ」を特徴として出していくということはストーリーを作るうえで必然かもしれません。

 

そんなこともあり、人間と同じように喋れるけど、喋れるからこそバカさが異様に際立っているキャラがしっちゃかめっちゃかしていく物語が、棒読みセリフと相まって印象深いものになっていくのだと思います。

 

けものフレンズ」は次回への引きが強い

単に『完全なる優しい世界』ではここまでの人気は出なかったでしょう。

けものフレンズ」は、その魅力のもう一つの側面である不穏な雰囲気』によって続きが気になる物語になっています。

 

ネタバレ全開で行きますが、4話では人間は滅びているという言葉が出てきます。

人間であるカバンちゃんの迷い込んだジャパリパークでは人間がいた形跡が至る所にあります。しかし、メンテナンスが完ぺきではない上に老朽化し、朽ち果てている施設がほとんどです。

さらにエンディングの閉演後の遊園地などにより、不穏な雰囲気が溢れ出ています。

 

実際に人間が滅びているかは分かりません。単に人間がジャパリパークを放棄しただけかもしれませんし実際に人間が滅びているデストピアかもしれません。

 

仮に人間がジャパリパークを放棄しているだけなのであれば、その理由はなんだったのか、なぜカバンちゃんは迷い込んできたのか。

もしくは人間が滅びているのであれば、カバンちゃんは何故生き残っているのか。

どちらにしても謎は残ります。

 

ただ、ここまで緩い雰囲気のアニメだとそれすらも明かされず、どうでもいいこととして扱われるかもしれないという危険性もあります。

その場合、アニメが終わった後もモヤモヤとし続けるでしょう。

 

このような人間が滅んでいるかもしれないという情報を小出しにしつつ、謎は深まるという展開になっているので次回が気になります。気になってきます。

 

ただでさえのんびりとした『完全なる優しい世界』に浸ることができ、さらに次回以降の残された謎によって後を引くこの「けものフレンズ」は人気に出るのも頷けます。

 

そういった意味ではNHK教育並みに情報量が絶対的に少ない物語でありながら、話の骨格はしっかりとしている、ロードムービー的な良くできた物語であるとも言えます。

 

けものフレンズは他作品に比べ謎展開が優れているのか?

さて、本題です。

これまでは単に『シアワセ』アニメというだけえではない謎が満載という物語が、

ここまで続きを気にさせるアニメは無かったか?というと、そうではないと思います。むしろ純粋に物語上だけで考えるとより優れた謎を残しているアニメは山ほどあったのではないでしょうか。

 

というよりも、けものフレンズは先ほども書いたように情報量が異様に少ないです。

CGでの制作ということもあり、他の作品と比べてお金があまりかかっていないように見え、(それでも莫大な金額だと思いますが)さらにセリフは棒読みだったり、声優と音響監督の遊び心がほとばしるセリフ回しだったりと完全にシリアス100%な雰囲気のアニメでは決してありません。

 

このような背景を持っているため、視聴者はこんなことを考えます。

「もしかするとキルミーやあいまいみーのようにそんな設定は置いておいて作品を楽しんでくださいパターンなのかもしれない。」

はい。

謎がまき散らされているにも関わらず、メタ的な目線で見ると「置いといてパターン」かもしれないと思わせている絶妙なさじ加減こそ今回の「けものフレンズ」大ブームの要因の大きな一つなのではないかと思っています。

 

アニメの見方について

これまで私たちはどのようにアニメを見てきたかについて考えていきます。

元々アニメというものは実写に比べると一段も二段も落ちるレベルの低い物語が大半を占めてきました。

アニメ=子供っぽい

そんな公式が成り立ってきたのです。

しかし、90年ころになると深夜アニメが台頭してきて、複雑な構成の物語が乱立します。

アニメにも関わらず、決して小学校低学年位の子供では理解出来ないような話も数多く出てきました。

子供向け、大人向け、中には原恵一による劇場版クレヨンしんちゃんのように大人も感動させるようなものも出てきます。

ドラマ顔負けのしっかりとした作りです。

 

適当に作ったものでは売れません。そのためある程度のパターンというものが出来上がります。

ロボットものだったり、ストックキャラクターものであったり、推理、サスペンス、恋愛、ホラー、SF、コメディなど様々なアニメが作られてきました。

多少人気作に引っ張られながらもアニメが増えていきました。

 

社会現象とまで言われた「エヴァ」。それにあやかり難しい内容のアニメが雨後の竹の子状態に作られます。

そのカウンターカルチャーのように「けいおん!」のような日常系アニメがまた乱立します。

電車男ブームなども重なり、アニメという文化は少しづつ市民権を得てきました。

 

人気が集まればお金も集まります。

集まったお金は業界関係者への優遇に行くのではなく、新しいプロジェクトへ向かいます。

このようにしてアニメは現在も粗製濫造されています。

 

ここまで数が多くなってくるとアニメの見方としては

人気作のみを追う、もしくはパターンを掴んで好みではないものだと分かったら視聴を中断してしまう

という見方が一般的になりました。

 

そんな中で例のアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』が現れます。

 

まどマギ」は「魔法少女」というストックキャラクターものとして見ていた人に衝撃を与えました。

少女向け魔女っ子ものと思わせて、実はかなりディープなダークファンタジーだったというアニメだったからです。

それまで1,2話でパターンを決めつけてしまう見方に慣れたアニメファンからするとかなり特異な作品でした。

90年代に流行ったシリアス展開アニメの考察というのは今でもネットの海に漂っていますが、魔法少女を考察しようと思う人は少なかったのだと思います。

(それでも脚本家や至る所に表れる異様な雰囲気を見れば分かることでしたが。)

 

まどマギ」を得て私たちはあることに気づきました。

 

今のアニメはジャンルに関わらずどんな展開も許容されるものになってきている

 

ということです。

アニメというものは現在、「まどマギ」を経て一周しました。

まるで日本がアニメを作り始めた時の様な、先の展開がどうなるのかわからない、とてもワクワク出来る時代に来ているのではないでしょうか。

 

その意味では今に生きているのを幸せに感じます。

 

なぜ「けものフレンズ」は謎が謎として生きているのか

「サスペンス」という言葉を聞いたことがあるかと思います。

このサスペンスというものは不安定感、宙づりの状態を表します。

物語を作る上でサスペンスというと見ている人に精神的な不安や緊張感を与え、物語の中に引き込みます。逆にサスペンス状態を解除するには先にある答えを出せばいいのです。

つまり、最終回、ネタばらし、謎に対する回答です。

 

けものフレンズ」の謎はどういったものでしょうか。

ジャパリパークとは?

サンドスターとは?

フレンズ化とは?

ジャパリまんとは?

人間は絶滅した?

なぜラッキービーストはBOSSなのか?

ラッキービーストと羽の関係性は?

そもそもカバンちゃんはなぜ「さばんなちほー」にいた?

 

これらの謎は7話視聴時点で謎のままです。

ここで先ほどの話が出てきます。

アニメというのは一見しただけではジャンルがつかめないこともある。というまどマギ」による予備知識と、けものフレンズ内の謎による不穏な雰囲気』。さらに省エネ制作による、製作陣の物語に対しての温度感の伝わらなさ。

 

これらが相まってこのまま単純な「シアワセ系」の物語になるかもしれないし、シリアスな人類滅んだエンドかもしれないという、どちらにも展開しそうな最高の『サスペンス状態が作り上げられています。

 

というよりも、もしかすると先ほど書いたように、「置いといてパターン」として謎は明かされないまま投げっぱなしジャーマン方式すら取るかもしれないと考えてしまいます。

「鬱エンド」、「楽園エンド」、「ジャーマン方式エンド」という純粋な物語上の謎というだけでなく、メタ的にもサスペンスな状況がこの『けものフレンズ』ブームを後押ししているのだと思います。

 

終わりに

いないとは思いますがここまで読んでいるのにまだアニメ見ていないよと言う方は是非、謎が明かされる前に見てください。

最高にサスペンスな状況で見れるという幸せを味わえるのは後追いでは難しいです。

まどマギ3話までと一緒です。

 

長々と文章を書いてしまいましたがここまで約5,000文字も読んでくださりありがとうございました。

今日は火曜日。私はこれから8話を見てまいります。

 

別に世界観にハマっているとかじゃなくてただ、先が気になるだけですので。

それだけです。

ええ、続きが気になるだけです。

 

さらにお暇でしたらこちらもどうぞ

naroukeitokouhuku.hatenadiary.jp

こんなに胸が苦しくなった映画はあっただろうか、いや無い「この世界の片隅に」の感想

思わず反語を使ってしまうくらいの胸の苦しさは初めてだと感じた映画でした。

君の名は。」に続いて、やっと見たシリーズです。 あまりに人気なのでなんとなく見たくなかったのですが、もうほとぼりも冷めただろうと思い。遂に見てきました。

まぁ、二度目は見に行かないでしょう。(あまりに素晴らしすぎて悲しみが襲ってくると言う意味で)

この世界の片隅に」の2017年2月映画館状況

やはり上映館数が「君の名は。」ほどは多くないためか、それなり人数が入っていました。

だいたい劇場の1/3位でしょうか?

ただ、何より気になった点はこれまで見た映画館の中でも客の反応が良かったことです。 笑いどころや泣き所で吹き出す声や鼻をすする声が聞こえてきました。

それとお歳を召した方が結構いたのも印象深いです。

この世界の片隅に」を見る私のスタンス

私は暗い話が好きではありません。

バイト先の後輩がこの原作を読んでいたので絶対見に行きたいとずっと言っていたので、映画の存在自体は知っていたのですが、「どうせ戦争系の泣かせる話だろ」と思い、劇場に行く気はありませんでした。

しかし、ここまで話題になるとやはり見に行きたくなります。

率直な感想

辛いっス。

もちろん泣きました。

ただ、単に泣かせてくる悲しい系の物語では無かったです。

ところどころに笑える要素があり、日々の生活が楽しく、時に生々しく感じる場面があるので「火垂るの墓」が好きではない私も楽しく見ることが出来ました。 見た直後の印象としては淡々と日々を描いていくだけなのに何で終盤にこんなに辛くて苦しく感じるのだろう感じました。

 

あと、見てると疲れます。 なぜ見た後にどっと疲れが襲ってくるのか?

単純に戦争物だから見ていることがしんどいという訳ではなく、主に下の3つが理由だと思います。

①進み方

物語の進み方が結構スピーディーに展開していくことです。 主人公のすずが若い頃から戦争が終わるまでを描かなくてはいけないのでかなりポンポン進んでいきます。 追いつくのが大変です。

最近の流行でしょうか? 「君の名は。」や「シン・ゴジラ」などもそうなのですが、昨年ヒットした映画はわざと観客を置いて行こうとしているのではないかと思うくらいどんどん進んでいきます。

②具体的な言葉として描かれないエピソードがある

ちょっとした主人公たちの会話から話の流れを掴まなければいけないエピソードもいくつかありました。 例えば、すずの妊娠疑惑のくだりです。

顔を見合わせて「まさか!」となる部分では一言も「妊娠」という言葉が出ません。さらにその後、結局一人分のご飯という例え話でこの顛末を終わらせています。

よく考えてみていないとスルーしそうな会話で物語が展開していくことがありますが、このように細かい説明を省いていかなければ物語全体のスピード感が落ちてしまうでしょう。

③なじみの無い方言や古い言葉

疲れる理由としてはこれもまた大きいと思います。

例えば「こまい」なんてお言葉は日常では使わないですよね。 話の流れからなんとなく「小さい」という意味で使われているなと分かりますが、やはり頭の中でいちいち翻訳しなくてはいけない言葉がところどころ散りばめられている気がします。

 

これら3つの理由でのんびりとした「すず」の行動や綺麗な自然の風景、抽象化されたすずの頭の中の映像も飽きさせず、逆に頭をフル回転させて見続けなくてはいけ無いという部分がこの物語を見終わった時に疲れを感じさせます。

 

この物語最大の嘘は主人公の「北條(浦野) すず」である

 

この物語は全体を通してかなり史実に基づいていて作られているそうです。大通りのお店の位置も戦艦が来る日付や警報の鳴る日付も実際の物とのことです。 まるでそこに生きているような、現代に地続きの歴史として実際に存在していたような感じで描かれています。 アニメの表現として、指の細かい動きを表現すると心地よさを生み(「君の名は。」感想でも言ってますが)、その細かさがまた実在している印象を増幅させます。 しかしこの「すず」という人物の存在、もちろん全部嘘です。 そしてそれがこの物語のキモだと思います。

 

「すず」は萌え4コマの主人公?

私は個人的に日常系の物語が好きです。 そして日常系好きにはこの映画を勧めると思います。 なぜなら「すず」は日常系主人公のそれと同じだからです(ラストは違いますが……)。 この物語全体に日常系の空気を感じます。

その理由はスピーディーに進む時間軸の中で主人公の日常を切り取り、くすっと笑える部分を抜き出しているという点です。

これはまさしく日常系萌え4コマと同じです。

そして、私がここまで胸が苦しくなった理由の一つはこれだと思います。 「すず」に戦争中でも頑張って!幸せになって!と願ってしまうような愛らしさがあるからです。 だからこそ、起承転結の転である、あの事件でギュッと胸を締め付けられました。

 

「すず」は実は現代人?

すずは何度か水原に「普通だ」と言われています。 この「普通」とはいったい何でしょうか?

私の意見ではありますが、すずはあまりにぼーっとしすぎていて『戦時中に生きていなかった』のではないかと思います。

だからこその普通。

つまり、戦時中ではない世界の考え方を持ち続けているということです。

再会した時の水原は過去の恋慕だけではなく、そんな「普通」であるすずを見てホッと出来る居場所だと認識したのではないでしょうか。  

また、「~~でよかった」「~~にならなくてよかった」 と言われ、「何が『良かった』だ!?全然良くない!」とすずの心理描写のシーンがありますが、生きてるだけで儲けものという戦時中の普通が受け入れられなくて悪態をついてます。 これはもう戦時中の価値観では無く私たち現代(戦争の無い時代)を生きている人の価値観です。

だからこそ感情移入がしやすいのではないかと思います。

 

「すず」は異常

そんな「すず」は食べ物が無くても少しでもを工夫して楽しく美味しくなるようギターを弾くように料理したり、絵をかいています。少しでも笑って過ごそうとしています。

食べ物が無くなりつつある戦時下、先の見えない世界でこんなにも楽しそうに生きられるでしょうか?

私なら無理です。

戦時中ではここまで何も考えないで幸せそうに生きる人は恐らくいなかったでしょう。だからこそのフィクションです。

これが仮にすずが実在したのならドキュメンタリーになってしまいます。  

こんな萌え4コマ主人公の様な、現在人のような感性を持った、戦時中としては「異常な感性」を持ったすずが主人公だからこそ、「戦時中にはいない現代の感性」を持っている私はすずを応援し、すずに感情移入をしてしまい、こんなにも胸が苦しくなったのだと思いました。

そしてクライマックスのシーン。そんなすずも最後には気が付くと戦争に染まってしまっていた。それがまた戦争の無常さとしてダイレクトに自分の中に落とし込まれるのではないでしょうか。

 

この世界の片隅に」は不朽の名作になれるのか

他の人の感想などを聞いていると、もうこの映画は日本映画史上で最も素晴らしいものの一つだと言われる程の感想をよく聞きます。

もちろん私も大賛成です。

しかし、物語というのは同じものでも見るべき時代というのがあります。現在エヴァンゲリオンがリメイクされていますが、昔のエヴァよりも今を生きる若い人たちには新エヴァを見た方が伝わりやすいですし、数々の過去の名作も昔見た時の画期的な印象は今の人が新しく見たとしても完璧に伝えることは出来ないと考えています。 それは「この世界の片隅に」にも言えるのではないでしょうか。

先ほども言ったようにすずの感性は現代の普通に通じる部分があると考えています。 この「現代の普通」というものが「次世代の普通」とは違ってきてしまったら、感覚がズレてしまったら、その時点でこの映画はただの戦争時代を描いた映画の一つになってしまうのではないでしょうか。 そうなるかならないかは現時点では誰にも分かりませんが……。

 

この世界の片隅に」の感想まとめ

この物語はこれまでのよくある「戦争はいけないよ!」などというNHK的なメッセージはないように感じます。

日々を淡々と描いているだけです。

それでも私は反戦派になったとまではいきませんが、生きている間は日本を出来るだけ戦争状態にはしたくないと思わせるパワーはありました。

この話はただのフィクションではありますが生活の雰囲気は本物を基にしています。あの生活はしたいとは思わないです。

そして劇場では「すず」の生活は終戦直後で終わっています。「すず」にはこの先幸せになってほしいと心から思いました。

よく考えてみると時代設定が史実に沿った流れなので、すずが亡くなる時期は日本がバブルまではいかない、高度成長期のあたりではないかと思います。過去の戦時中から比べると日本が復興したなと最も感じられる時期ではないでしょうか。

そう考えると、すずはきっと幸せに死んでいったのかな?と考えると少し気が落ち着きます。

漫画ではどうなっているのでしょう?今度読もうと思います。  

 

そして最後となりますが、一つ劇場中に気になった言葉があります。

「大事(おおごと)だと思っていた頃が懐かしい」

この言葉です。

現在は隣の韓国と不仲になったり、アメリカ新大統領の動向に関してのニュースが世界を飛び交っていたりします。

そんな今この状態のニュースが『大事だと思っていた頃』になってしまうことになるのではないかと、なんとなく予言された気がして怖い気持ちが湧き上がってしまいます。 この先何があるか分かりません。

とりあえず、今の幸せをかみしめようと思いました。

ついに見た「君の名は。」の感想と評価の分かれる理由

ついに見た「君の名は。」の感想と評価の分かれる理由

今更見た「君の名は。」の感想と良い悪い含めいろんな評価が出ているのはなぜなのかを考えてみます。

 

昨年8月公開の「君の名は。」が三ヵ月目くらいにはかなりの話題になり、世間一般に有名となってからさらに三ヵ月経った今、 やっと見ましたよ。

 

あまりに大勢の人がいいと言っているので、さすがに気になったので映画館に行ったのですが、見終わった直後の率直な感想を一つ。

 

『なぁ~んだ、結局みんなこういうの好きなんじゃん』 です。

 

よく評論などで使われている言葉を借りると『セカイ系』でしょうか、世界を救うお話です。

セカイ系という言葉は二人の関係が世界を変えるという感じなんですが、定義が曖昧なので深入りは無しで行きます。

 

君の名は。」の2017年1月の映画館状況

映画館の状況ですが、さすがにもう客入りも少なくなっているようで、平日休みを利用して行きました。

 

2時間前に席を予約しましたのですが、なんとすべての席を選べる状態!

 

実際に劇場に入ってみると、上映開始直前に全く客がいないということは無くホッと一息。

 

全体的にパラパラと入っているくらいで客層もバラバラでした。

 

お一人様が十数人。

カップルも2,3組。ちなみに隣のカップルの彼氏は終演後寝ていました。

そして、私の後ろの座席には仲の良さそうな老夫婦が一組。 きっと「最近若い人たちで人気になっている映画でも見に行きましょうかねぇ、おじいさん」なんて会話をしたのだろうかと想像が膨らみました。

帰り急いで劇場を出なければ(膀胱の事情により)その老夫婦にインタビューでもしたかったです。

 

君の名は。」を見る私のスタンス

私は事前に映画の内容を軽く聞いていました。

 

趣味の一つに「見てもいない映画批評を聞く」というものがあるのですが、恐らく批評だけで本編の三倍以上の時間をそれに充ててしまっていました。 知っていた内容は

 

・男女が入れ替わる

・時間が関係している

・物語の粗が結構ある

 

というあたり。 それと題名から察するに二人がやっとのことで出会うことができ「君の名は?」と問いかけて終わるということくらいでしょうか。

 

ブームの理由

ここまでのブームを引き起こしたのは物語自体が面白いことのほかにマーケティング戦略が素晴らしかったからだとも聞いています。

 

単純に映画を配給するだけではなく、数カ月にも分けて宣伝して、小説を出版してイベントを行って、RADを使い、SNSで拡散しやすい土壌を作ったことが要因らしいです。

 

実際に見た映画の感想

まぁ、素晴らしいですよね。

個人的に特に好きな点を4つほど上挙げさせていただきます。

 

<その1>序章

物語の導入部、三葉の田舎生活を紹介する会話劇の部分が好きです。

 

三葉の日常生活である田舎の風習への批判と都会へのあこがれというありきたり中のありきたりな話ですが、冒頭の謎を残しながらもテンポよく展開していて良かったです。

 

面白い映画というのは序章だけがずっと続いても面白いんじゃないかと思わせる作りでした。

 

<その2>音楽

やはりRADWIMPS最高です。

 

映画の為に作られた音楽といものはやはりいいです。しびれます。

 

あの物語中盤の2人の入れ替わる日常パート、カルチャー(ジェンダー)ギャップコメディ満載になって普通の監督ならそこで10分20分使ってしまい映画全体をだらけた感じにしてしまいそうですが、その部分をあえてダイジェスト形式にして疾走感満載でつづるというあの演出。

 

これによって後半の瀧君のモノローグも飽きさせることなく物語に入り込ませてくれます。 いいです。

 

<その3>伏線回収の速さ、分かりやすさ

この映画の魅力というか見終わった後のスッキリ感はここにあるのではないかと個人的には思っています。

 

「みんな~ここ伏線だからね~」と言わんばかりのあからさまなカットから、およそ10~20分ほどで伏線回収という小気味よさ。

 

具体的にいうと、

冒頭の三葉(中は瀧)のここはどこ?私は誰?から時間をすっ飛ばした翌日、「昨日の三葉おかしかった」という謎がありました。他の物語ではここでもう少し話を膨らませようとしがちですが、現代の利器であるスマホを使って比較的にすぐお互いの状況を把握するという伏線回収の速さでした。

 

瀧がいつもつけてる組紐も紐のアップでアレ?と思わせてからの三葉の回想へ入るので回収早いなぁと感じました。

 

細かい事柄でも、複数の箇所であからさまに伏線を用意し、分かりやすく説明されるとお話全体が分かったような気にさせてくれます。

 

ただ、先輩の最後の言葉「瀧君は私のこと好きだったのよね、でも他に~~」の部分はさすがに余計だなと、わざわざ言葉にして分かりやすくしなくてもいいのでは?と思いましたが。

 

<その4>アニメとしての映像の良さ

何よりも「君の名は。」は映像がいい。

 

作画というのでしょうか。

 

アニメの良さって何?と聞かれたときに挙げられる点でよく言われるものの一つに。 「日常生活を切り抜いて滑らかに動かしていること」ということがよく言われています。

 

なんでもない仕草だけれどもアニメとして動いていると見ていてとても気持ちいいものらしいです。 ジブリなどはその最たるものと言っていいでしょう。

 

具体例でいうと、何度も伏線として見せつけられていたので印象深いと思いますが、三葉の髪を結ぶシーンが挙げられます。鏡の前で三葉が赤い組紐を使って髪を結う姿です。

この何でもない動作ではありますが、滑らかに動かされている手を見ていると、それだけでなんだか心地がよいのです。

 

他に挙げると、三葉が道路で転んで転がるシーンや運動をしているシーン。 そして作画だけでなく撮影技術も素晴らしかった口噛み酒の舞のシーン。

 

これらを見ていると手間をかけたのだなと感じます。

 

もちろん綺麗で壮大な自然や都会の街並みの慌ただしさを感じさせる風景が素晴らしいのは言うまでもありません。

 

日本アニメの最高峰だと言えるのではないでしょうか。

 

なぜ「君の名は。」は評価が分かれるのか?

ここからは私の個人的な考察です。(これまでも個人的な感想でしたが……)

 

君の名は。」はこれほど興行成績を上げているにもにもかかわらずなぜここまで賛否が分かれるのでしょうか。

 

私が見終わって初めに感じたこととしては、確かにこの映画はいい物語ですが、何か誤魔化された感が否めなかったです。

 

しかし、改めて映画を思い出してながら考えるうちに私の中で印象が変わってきました。  

 

そもそも論として私は少女漫画(アニメ)と少年漫画(アニメ)は物語の主題としてこんな違いがあると考えています。

 

少女向け・・・関係性の変化

少年向け・・・状況の変化

 

これらの変化によって物語を回していくものが多いように感じます。(もちろん例外はたくさんありますが)

 

さて、それを踏まえて考えると、この「君の名は。」はどう見えてくるでしょう。

 

少年向けとして見てみると物語の進行が

「男女が入れ替わった」⇒「ある意味二重生活」⇒「突然入れ替わりが無くなった」⇒「会いに行く」⇒「時間がずれていることが分かる」⇒「状況の打破を画策」⇒「初めての出会い」⇒「物語の終演」

という大きく分けても入れ替わり、タイムスリップという複数の流れがあり、彗星という大きなミスリードがありなんだかごちゃごちゃしてしまっています。

 

物語を作る上でよく言われていることですが、大きな嘘を一つ作ってそれに合うように周りを現実的に埋めていくと作りやすいと言われますが、「君の名は。」では①入れ替わって②タイムスリップして、③彗星のかけらが同じようなところに複数回落ちるという天文学的に低い確率の奇跡(大きな嘘)がたくさん起きています。

 

それぞれの理由付けは確かにあるのですが、しっくりこないと言うか後付け感が凄いです。

 

一例としては二人の間のタイムラグは何故気づかないのかという問いに対して、目が覚めると記憶があやふやになるからといった理由付けはあります。

 

その他、無理矢理だなと感じた点にもしっかりと伏線などは用意されてはいます。

 

しかし、私個人の感想では「うやむやにごまかされている感がある」くらいで丁度いいと考えています。

 

なぜなら物語の主軸は先ほど書いた『関係性の変化』で見るとスッキリしているからです。  

 

今度は少女向け、関係性の変化を重点として物語の進行を見てみると、

「男女が入れ替わった」⇒「お互いぶつかりながらもだんだん気になる」⇒「先輩の件をきっかけとして会いたいと思う」⇒「一瞬だけどやっと会えた」⇒「時間を超えて都内で運命的な出会い」

あらスッキリ。

 

「起」「承」「転」「結」とまではいきませんが、「起」「承」「転」「結」「結び」くらいにはなりました。

 

このとらえ方の違いが今回の賛否両論の答えではないかと思います。

 

状況の変化を中心に物語を追うとゴチャついていますが、二人の関係性の変化を中心に物語を追うと実にシンプルな恋愛物語になります。

 

そう、この物語はセカイ系に見せかけた、ただの少女漫画だったと考えると納得がいきます。

 

少年漫画として見ている方は物語の設定である「入れ替わり」「タイムスリップ」の必然性や論理的な説明を考えてしまい、細かい部分が気になって急激に冷めてしまうのではないかと思います。

 

「だって物語の重要な要素が破たんしてるじゃないか!」と反論したい気持ちはあるかと思いますが、「君の名は。」で描かれている主軸は「二人がすれ違う」ことと「人は忘れたりして、前の(昨日の)自分じゃないかもしれない」という部分です。タイムスリップの部分は物語を盛り上げるための舞台装置の一つでしかないからどうでもいいのかなと思います。(もちろん理由は細かい部分まで見ると分かるし、小説にはしっかり書かれているのですが)

 

その重要ではないということが顕著に表れている部分として次のシーンが挙げられるのではないでしょうか。

 

三葉の書いた日記が文字化けし始めて徐々にデータが消えていくという場面です。

 

単純なタイムスリップものとして考えてみます。本来なら三葉の日記は、初めから書いていなかった。記憶違いだった。記憶の中にしかなかった。気が付くと消えていた。などでも良かったはずです。

 

それをあえて、瀧君が気が付いて日記を確認した瞬間から徐々に消えていくというシーンにしています。これは、何かよくわからない世界の運命の力が働いた、抗えない不思議な力で三葉がいたという証拠が現実から消えて行った、ということではないかと思います。

 

もちろんこれは、ラストシーンで「君の名前は?」と問いかけなくてはいけないので後々邪魔になる記録の部分を消してしまおうという進行上やむを得ない演出だったとも言えますが、私はこのシーンを見てこう感じました。

 

『SF的設定とか細かいことは気にするな』という暗示ではないのかと。

 

この物語はこういうものだ。黙って続きを見ておけよ。そんな細かいことよりも二人がどうなるのか気になるだろ?

 

という制作者側からのメッセージとして私は受け止めました。これが受け入れられると全く問題なく物語に入り込めるでしょう。

 

そして最後に先輩との淡い恋が確実に終わったというあからさまな伏線回収を指輪のアップから教えてくれ、会えそうで会えないという少女漫画として一番盛り上がる部分をテンポのよい音楽と共にすれ違いラッシュでハラハラさせてくれます。

 

君の名は。」の感想のまとめ

・設定を見ると少年向け、中身は実は少女漫画。

 

・新海監督のインタビューを聞くと主体が三葉、語り部が瀧君と言っている。その割には、進行上どうしても語り部並みに三葉メインの話が多くなってしまっている。

 

・話がゴチャついているが設定が一応筋は通る。

 

このような状況から完全に少年向けでもなく、もちろん少女向けでもない絶妙なバランスを取っているので万人受けしてしまったのではないかと思います。  

 

ただ、惜しむらくはこれを是非10代のうちに見たかったということでしょうか。 私が10代だったなら男子でも女子でも最高!といえたのかもしれません。

 

もう若者ではない私から言えることは、最後の方のシーンの、「あの旅行は何がきっかけで行ったのか覚えていない」という瀧君のモノローグがありますが、これは実際にあるということです。

 

人生の一大イベントだろうとも忘れる物は忘れるし、過去の自分と今の自分は連続していない気分になることが実際にあるよということだけはお伝えしておきます。

 

ちなみに、ずっと誰かを探している気はしません。