こんなに胸が苦しくなった映画はあっただろうか、いや無い「この世界の片隅に」の感想
思わず反語を使ってしまうくらいの胸の苦しさは初めてだと感じた映画でした。
「君の名は。」に続いて、やっと見たシリーズです。 あまりに人気なのでなんとなく見たくなかったのですが、もうほとぼりも冷めただろうと思い。遂に見てきました。
まぁ、二度目は見に行かないでしょう。(あまりに素晴らしすぎて悲しみが襲ってくると言う意味で)
「この世界の片隅に」の2017年2月映画館状況
やはり上映館数が「君の名は。」ほどは多くないためか、それなり人数が入っていました。
だいたい劇場の1/3位でしょうか?
ただ、何より気になった点はこれまで見た映画館の中でも客の反応が良かったことです。 笑いどころや泣き所で吹き出す声や鼻をすする声が聞こえてきました。
それとお歳を召した方が結構いたのも印象深いです。
「この世界の片隅に」を見る私のスタンス
私は暗い話が好きではありません。
バイト先の後輩がこの原作を読んでいたので絶対見に行きたいとずっと言っていたので、映画の存在自体は知っていたのですが、「どうせ戦争系の泣かせる話だろ」と思い、劇場に行く気はありませんでした。
しかし、ここまで話題になるとやはり見に行きたくなります。
率直な感想
辛いっス。
もちろん泣きました。
ただ、単に泣かせてくる悲しい系の物語では無かったです。
ところどころに笑える要素があり、日々の生活が楽しく、時に生々しく感じる場面があるので「火垂るの墓」が好きではない私も楽しく見ることが出来ました。 見た直後の印象としては淡々と日々を描いていくだけなのに何で終盤にこんなに辛くて苦しく感じるのだろう感じました。
あと、見てると疲れます。 なぜ見た後にどっと疲れが襲ってくるのか?
単純に戦争物だから見ていることがしんどいという訳ではなく、主に下の3つが理由だと思います。
①進み方
物語の進み方が結構スピーディーに展開していくことです。 主人公のすずが若い頃から戦争が終わるまでを描かなくてはいけないのでかなりポンポン進んでいきます。 追いつくのが大変です。
最近の流行でしょうか? 「君の名は。」や「シン・ゴジラ」などもそうなのですが、昨年ヒットした映画はわざと観客を置いて行こうとしているのではないかと思うくらいどんどん進んでいきます。
②具体的な言葉として描かれないエピソードがある
ちょっとした主人公たちの会話から話の流れを掴まなければいけないエピソードもいくつかありました。 例えば、すずの妊娠疑惑のくだりです。
顔を見合わせて「まさか!」となる部分では一言も「妊娠」という言葉が出ません。さらにその後、結局一人分のご飯という例え話でこの顛末を終わらせています。
よく考えてみていないとスルーしそうな会話で物語が展開していくことがありますが、このように細かい説明を省いていかなければ物語全体のスピード感が落ちてしまうでしょう。
③なじみの無い方言や古い言葉
疲れる理由としてはこれもまた大きいと思います。
例えば「こまい」なんてお言葉は日常では使わないですよね。 話の流れからなんとなく「小さい」という意味で使われているなと分かりますが、やはり頭の中でいちいち翻訳しなくてはいけない言葉がところどころ散りばめられている気がします。
これら3つの理由でのんびりとした「すず」の行動や綺麗な自然の風景、抽象化されたすずの頭の中の映像も飽きさせず、逆に頭をフル回転させて見続けなくてはいけ無いという部分がこの物語を見終わった時に疲れを感じさせます。
この物語最大の嘘は主人公の「北條(浦野) すず」である
この物語は全体を通してかなり史実に基づいていて作られているそうです。大通りのお店の位置も戦艦が来る日付や警報の鳴る日付も実際の物とのことです。 まるでそこに生きているような、現代に地続きの歴史として実際に存在していたような感じで描かれています。 アニメの表現として、指の細かい動きを表現すると心地よさを生み(「君の名は。」感想でも言ってますが)、その細かさがまた実在している印象を増幅させます。 しかしこの「すず」という人物の存在、もちろん全部嘘です。 そしてそれがこの物語のキモだと思います。
「すず」は萌え4コマの主人公?
私は個人的に日常系の物語が好きです。 そして日常系好きにはこの映画を勧めると思います。 なぜなら「すず」は日常系主人公のそれと同じだからです(ラストは違いますが……)。 この物語全体に日常系の空気を感じます。
その理由はスピーディーに進む時間軸の中で主人公の日常を切り取り、くすっと笑える部分を抜き出しているという点です。
これはまさしく日常系萌え4コマと同じです。
そして、私がここまで胸が苦しくなった理由の一つはこれだと思います。 「すず」に戦争中でも頑張って!幸せになって!と願ってしまうような愛らしさがあるからです。 だからこそ、起承転結の転である、あの事件でギュッと胸を締め付けられました。
「すず」は実は現代人?
すずは何度か水原に「普通だ」と言われています。 この「普通」とはいったい何でしょうか?
私の意見ではありますが、すずはあまりにぼーっとしすぎていて『戦時中に生きていなかった』のではないかと思います。
だからこその普通。
つまり、戦時中ではない世界の考え方を持ち続けているということです。
再会した時の水原は過去の恋慕だけではなく、そんな「普通」であるすずを見てホッと出来る居場所だと認識したのではないでしょうか。
また、「~~でよかった」「~~にならなくてよかった」 と言われ、「何が『良かった』だ!?全然良くない!」とすずの心理描写のシーンがありますが、生きてるだけで儲けものという戦時中の普通が受け入れられなくて悪態をついてます。 これはもう戦時中の価値観では無く私たち現代(戦争の無い時代)を生きている人の価値観です。
だからこそ感情移入がしやすいのではないかと思います。
「すず」は異常
そんな「すず」は食べ物が無くても少しでもを工夫して楽しく美味しくなるようギターを弾くように料理したり、絵をかいています。少しでも笑って過ごそうとしています。
食べ物が無くなりつつある戦時下、先の見えない世界でこんなにも楽しそうに生きられるでしょうか?
私なら無理です。
戦時中ではここまで何も考えないで幸せそうに生きる人は恐らくいなかったでしょう。だからこそのフィクションです。
これが仮にすずが実在したのならドキュメンタリーになってしまいます。
こんな萌え4コマ主人公の様な、現在人のような感性を持った、戦時中としては「異常な感性」を持ったすずが主人公だからこそ、「戦時中にはいない現代の感性」を持っている私はすずを応援し、すずに感情移入をしてしまい、こんなにも胸が苦しくなったのだと思いました。
そしてクライマックスのシーン。そんなすずも最後には気が付くと戦争に染まってしまっていた。それがまた戦争の無常さとしてダイレクトに自分の中に落とし込まれるのではないでしょうか。
「この世界の片隅に」は不朽の名作になれるのか
他の人の感想などを聞いていると、もうこの映画は日本映画史上で最も素晴らしいものの一つだと言われる程の感想をよく聞きます。
もちろん私も大賛成です。
しかし、物語というのは同じものでも見るべき時代というのがあります。現在エヴァンゲリオンがリメイクされていますが、昔のエヴァよりも今を生きる若い人たちには新エヴァを見た方が伝わりやすいですし、数々の過去の名作も昔見た時の画期的な印象は今の人が新しく見たとしても完璧に伝えることは出来ないと考えています。 それは「この世界の片隅に」にも言えるのではないでしょうか。
先ほども言ったようにすずの感性は現代の普通に通じる部分があると考えています。 この「現代の普通」というものが「次世代の普通」とは違ってきてしまったら、感覚がズレてしまったら、その時点でこの映画はただの戦争時代を描いた映画の一つになってしまうのではないでしょうか。 そうなるかならないかは現時点では誰にも分かりませんが……。
「この世界の片隅に」の感想まとめ
この物語はこれまでのよくある「戦争はいけないよ!」などというNHK的なメッセージはないように感じます。
日々を淡々と描いているだけです。
それでも私は反戦派になったとまではいきませんが、生きている間は日本を出来るだけ戦争状態にはしたくないと思わせるパワーはありました。
この話はただのフィクションではありますが生活の雰囲気は本物を基にしています。あの生活はしたいとは思わないです。
そして劇場では「すず」の生活は終戦直後で終わっています。「すず」にはこの先幸せになってほしいと心から思いました。
よく考えてみると時代設定が史実に沿った流れなので、すずが亡くなる時期は日本がバブルまではいかない、高度成長期のあたりではないかと思います。過去の戦時中から比べると日本が復興したなと最も感じられる時期ではないでしょうか。
そう考えると、すずはきっと幸せに死んでいったのかな?と考えると少し気が落ち着きます。
漫画ではどうなっているのでしょう?今度読もうと思います。
そして最後となりますが、一つ劇場中に気になった言葉があります。
「大事(おおごと)だと思っていた頃が懐かしい」
この言葉です。
現在は隣の韓国と不仲になったり、アメリカ新大統領の動向に関してのニュースが世界を飛び交っていたりします。
そんな今この状態のニュースが『大事だと思っていた頃』になってしまうことになるのではないかと、なんとなく予言された気がして怖い気持ちが湧き上がってしまいます。 この先何があるか分かりません。
とりあえず、今の幸せをかみしめようと思いました。