アニメの話がしたいジャないか

アニメの話をガッツリできる友達がいないのでここにこっそりと書き込んでいきます。

アニメに関わる他メディアへの展開

漫画からアニメへ、小説(ラノベ)からアニメへ。

これらはよくある流れではありますが、アニメから実写や舞台への進出などもあります。そんな他メディアへ進出の利点や欠点と、どのように展開していけば素晴らしい作品が世に出てくるのかの考えを述べていきます。

 

 

漫画や小説(ラノベ)からのアニメ化

今期(2018年夏期)の話題になっているアニメの一つに「はたらく細胞」があります。

はたらく細胞」とはうっかり元気な「赤血球AE3803(c.v.花澤香菜)」が人の体内で病気にさらされている現場に立ち会って視聴者に体の中でどんな細胞が働いているのかを知っていくという話です。

この「はたらく細胞」は2016年に宝島社が発表している「この漫画がすごい」にランクインしておりその際に私自身も読んだことがありました。

その時の正直な感想としては『ふぅ~ん、あまり面白くはないけども、題材としては目新しいな』という程度でした。

 

はたらく細胞」の凄さ

しかしアニメはすごい。

特に素晴らしいと思ったのは第2話の冒頭部分。

見ていない方は是非見ていただきたいのですが、このはたらく細胞内の今期大注目キャラクター血小板の人気を爆発させたきっかけを作ったシーンの一つです。

この作品内では血小板が幼女として描かれているのですが、この小さい女の子頑張って階段を下りている姿がなんとも可愛らしいです。

小さい子が一生懸命何かをしているシーンというのはこれまでのアニメの中でも結構出てきます。そしてそのあどけない動きを見守るシーンは失敗しがちです。

なぜなら最終的には、「小さい子が階段を下りきる。」というなんでもない結果しか残らないからです。

そのため他のアニメでは、短い尺で済まそうとしておざなりになってしまうか、妙に間延びした時間を埋めるべく幼女声の声優がヨイショヨイショと頑張っている声を出して視聴者をしらけさせてしまう微妙なシーンが出来上がります。

はたらく細胞ではこの何でもないシーンを全体像、階段に差し掛かった足の近影、大人である赤血球のハラハラしながら見守っているというカットを挟み込むことによって上手く単調にならないように、なおかつ見ている視聴者も赤血球と一緒にハラハラさせるという状況を作ることに成功しています。

鈴木健一監督率いるデビプロの皆さまブラボーです。

メイの何でもない動きを観客に楽しく魅せる「となりのトトロ」の宮崎駿ばりの素晴らしさではないかと思っています。

このチームの皆さまなら「よつばと!」の原作をも使いこなせるのではないかという期待すら持てます。

 

アニメ化によるアク抜き

それともう一つ、この「はたらく細胞」ではアニメ化によるアク抜きがいい影響を及ぼしているのではないかと思っています。

先ほども書きましたが、原作は正直言ってしまうとあまり心を動かされませんでした。

漫画では解説部分で文字が多く、絵にも癖がありました。

その部分が長時間読ませるには辛いと判断して2巻まで読むことを諦めさせました。

 

アニメの制作では一般的に「キャラクタ-デザイン」⇒「原画」⇒「動画」⇒「撮影」で進められます。

キャラデザで決まったキャラクターを基に原画マンがシーン毎に書き起こしてその隙間を埋めるように基本若手のアニメーターが書いていきます。

雑な説明なので詳しくはググってください。

 

何が言いたいかというと、初めの段階のキャラクターデザインというのは言ってみればキャラクターの仕様書であり、アニメ化に際して使いやすくするという、キャラクターの再定義の作業になります。

そしてこの時点で原作の持っている絵の癖が抜けているということです。

(もちろん、作品によってはアニメ化によって悪い方におかしくなったり、違和感が出たりする場合もある)

さらにアニメ化に際に体内の説明文とセリフが同じ画面に出ることを防ぎ、背景の書き込みを色付きにすることでシンプル化してメインキャラクターに視線がいきやすくなっています。

単純に言うとアニメ化したことで画面が見やすいのです。

原作が題材はいいのにそれほど大人気にならなかった理由はここにあるのではないかと思います。

 

アニメ化したことでおかしくなったアレ

アニメ化して炎上してしまったものもあります。

くまみこ」です。

くまみこ」は原作もとても面白く、アニメも最高でした。

しかしながら最終回ではとても後味の悪い終わり方になってしまったのです。

これには多くの批判や困惑がネット上で賑わせましたが、実はほとんどのシーンが原作であったものなのに、組み合わせ方がおかしかった為起きたことでした。

最大の要因は1クールで一つの落ちを作らなければいけないというアニメ化の制約のために起きたことかと考えています。

アニメ化に際してアニメオリジナルの要素である「人間の言葉を話すヒグマのナツが大都市仙台で活躍する」という事象を入れ込み、残りのシーンを原作から引っ張ってきて組み合わせたらおかしな、後味の悪い感じが出てしまったのです。

 

くまみこの様に原作を何とか1クールで区切りをつけようとした事で起きる悲劇があります。

 

別のメディアである「漫画・アニメ」から「実写ドラマ・映画」への展開

今期(2018年夏期)のドラマの一つに「この世界の片隅に」があります。

私はこの映画が大好きで大好きです。面白すぎて思わずこのブログでも感想を書いてしまいました。

animekennethsan.hatenadiary.jp

そんな「この世界の片隅に」ですが、実写化です。

実写ドラマです。

第1話からすでに改変されていて現代の謎の結婚前らしい男女が出演しています。

改変です。

戦前(メイン)部分の改変が無いだけありがたいですが、なんなんだろうなという感じです。

 

実写ドラマの制約

実写ドラマの場合にはアニメ化と同様1クールという制約があります。

さらに映画やアニメ化よりも厳しいのは視聴率があります。

初回を含め初めの方の視聴率があまりに悪い場合には最悪12話が11話に減らされるなどペナルティもあります。

そのためか劇場アニメでは子供時代をある程度描かれていたのに実写ドラマでは始めの方から話の展開のかなり動いています。

主人公の日常を描いてから少しずつ変化していくという感覚があまりありません。

残念です。

 

また、実写映画の場合にもアニメに忠実になればなるほどお金がかかるという制約があります。「銀魂」や「ジョジョ」などは衣装やメイク、CGにお金がかかります。

そのためシーンを入れ替えたりおかしな流れを作ったりとやりくりしている間に話の本筋がおかしくなるということもよく見受けられます。

逆に忠実になりすぎて会話やシーンの「間」が実写としてみると違和感を出してしまうこともあります。

 

また、たくさんの人をが関わることで作品の意図からずれてしまうこともあります。

例えばドラマ版「この世界の片隅に」宣伝に関して『二人に待ち受ける戦争の魔の手』なんていう言葉をCMで煽り文句として使っていました。

アニメ映画ではこれまでの戦争を描いた作品とは違い「説教臭くない」という点も評価されています。これまでの戦争ものの物語のCMを作ってきた制作会社のクセや流れで作ってしまうということも、アニメのファンとしては見ていて辛いです。

 

他メディアへの移行でどうすれば上手くいくかの提言

他メディアに行くことが全て悪いこととは決して言いません。

メディアが変わるとより面白くなるということもよくありますし、小説や漫画からのアニメ化は一つの箔付けであり視聴者、ファンの数も劇的に増加します。

対して実写化に関しては比較的に失敗する割合が多い気がします。

 

他メディアへの展開の場合、実写だろうがアニメだろうが大勢の人間が関わることになります。それに伴いおおざっぱな流れとしては「出資者・プロデューサーなどで企画を作る」⇒「制作会社・監督を選任」⇒「その他の制作補助を決定」⇒「実際の作成」という流れが多いかと思います。

 

では何故アニメ化と実写化に違いが出るのでしょうか。

これは以下の要因があるのではないでしょうか?

 

「漫画・小説」から「アニメ」へ

「漫画・小説」から「アニメ」への展開は大枠でいうと同じサブカル文化です。

アニメ監督は大体漫画や小説なども好きです。

制作会社の人間も漫画を読んだことがないという人はいないでしょう。

つまり企画段階で話し合われたことや原作の価値観に対してくみ取りがうまく良質なものができやすいのかなと思います。

 

「漫画・小説」から「実写」へ

それに対して実写の場合は必ずしも原作が大好きだというわけでもありません。

実写の監督は普段実写のドラマや現代劇を作っています。そんな中、制作委員会から漫画・アニメ原作の話を振られます。

普段の作り方から多少は逸脱した、価値観もおかしな世界観の物語を制作することになります。

そこに情熱はなかなか入れ込みにくいのではないでしょうか。

中には何でおれがこんなものを作らなければいけないのか。と考える監督もいるかもしれません。

 

こうすれば上手くいく!?

つまり、最終的には熱意・熱量の問題なのではないかと思っています。

自分の好きなものを最も面白い形で遺したい。その熱意が作品に反映されるのではないでしょうか。

では、どうすればいいのか。

現在ある「企画」⇒「監督の選任」ではなく、「監督の選任」⇒「出資者を集める」の流れにするのが一番ではないかと思います。

劇場アニメの話になりますが、2016年は「君の名は。」「この世界の片隅に」が大ヒット、高評価でした。

この二つ、実は監督主体です。

君の名は。」の場合はプロデューサー川村元気さんが新海誠監督を見出して話を進めました。

この世界の片隅に」は片渕須直監督がどうしても作りたくてクラウドファンディングでお金を集めました。

両方とも熱意バリバリです。

 

まとめ

この世を面白い他メディア展開で埋め尽くすためには、「〇〇を作るという企画」ありきで(人気が出ているから、売れそうだから)というのをやめて、〇〇を作りたいという監督をプロデューサーが見つけ出し出資者(制作委員会)を付けるという流れにするのがいいのではないかと私は考えます。

ネットワークがITのおかげで作りやすくなった今、力のある監督とのコネクションやお金集めも昔よりは多少障壁が低くなっているのではないでしょうか。

「人気だからとりあえず作る」から「作りたいから人がいるから作る」になっていってほしいと切に願います。

 

最後に一言、「くまみこ」はのあの事件はしょうがなかった。